文字サイズ:

日本から受け継いだものを見つける エドワード・フランシス=オハレ~その1~

カテゴリ: お知らせ,子孫たちの物語 — 2020年02月22日 土曜日

 

エドワード(Edward)はハリー・マイケル=オハレ(Harry Michael O’Hare)、ヘレン・シルビア=ワダ(Helen Silveira Wada)夫妻にとって初めての子でした。

1918年2月2日にカリフォルニア州サンフランシスコ(San Francisco, California)で生まれた彼は、存命であれば今年102歳を迎えます。

エドワードが生まれてすぐ、一家はアイオワ州ウォータールー(Waterloo, Iowa)のアダムズ・ストリート(Adams Street)に引っ越しました。父は鉄道員として働いていました。中西部出身の父にとって、引っ越しは故郷への帰還でもありました。

1928年ごろ両親は離婚しました。7人の子を連れて、母は育ったカリフォルニア州サリナス(Salinas)の農場に戻った一方で、父はウォータールーに留まりました。のちに父はカリフォルニア州に移り、ヘレンや子供たちと連絡を取り続けました。

エドワードは成人し、ドロレス・アキスタペース(Dolores Acquistapace)と結婚しました。ドロレスは優しく、愛らしく、そして素晴らしい笑顔の持ち主でした。夫妻は、リンダ(Linda)、エドワード・ジュニア(Edward Jr.)、パトリック(Patrick)、モーリーン(Maureen)の4人の子供に恵まれました。残念ながら、パトリックはがんのため昨年この世を去りました。

一家はサンノゼ(San Jose)のエンパイア・ストリート(Empire Street)に住んでいました。サンノゼの家を訪れた時の素晴らしい記憶が思い出されます。バンガロースタイルの家で、大きなベランダに続く階段もありました。

エディ(Eddie)おじさん(私たちはこう呼んでいました)は陸軍で調理人として働いたのち、シェフとなりました。

サンノゼのセンター・ロード(Senter Road)にあったデル・モニコ・レストラン(Del Monico’s Restaurant)でおじさんが働いていた時の思い出を、おじさんの娘のリンダと語り合ったものです。

<続> マイケル・オハレ(Michael O’Hare)

【祖母ヘレンの思い出 ~その2~】

マイケル・オハレ(Michael O’Hare)

私は1953年に生まれ、12歳の時に祖母が亡くなりました。彼女はカリフォルニア州サンノゼ(San Jose, California)のプラム・ストリート(Plum Street)に住んでいました。サンタ・クララ(Santa Clara)の我が家からは18kmで、よく訪ねたものでした…。

ある日、私の町で悲劇が起きました。一人暮らしの女性が強盗に遭い、放火までされたのです。消防車やパトカー、救急車がサイレンを響かせながらやってきて、近所じゅうの人が何が起きたのか見にきました。誰もが惨劇に衝撃を受けていました。

毎晩地域紙が配達されていましたが、その日は1面すべてが強盗について報じていました。私はすべての写真と記事を切り抜き始めました。祖母はその晩、私が切り抜きをしているときに我が家に来ました。祖母に何をしているか尋ねられ、私が答えると、「そういうのは取っておくようなニュースじゃないんだよ」と、記事を捨てるよう言われました。私は混乱しており、捨てたくはありませんでしたが、祖母に従いました。

祖母は馬が大好きで、金属製の馬を集めていました。一番上の姉のダイアン(Diane)はコレクションの一部をもらい、私は子供の時にそれで遊んでいました。

ダイアンはオレゴン州(Oregon)に移りましたが、1970年代後半に家が火事に遭い、コレクションはだめになってしまいました。

1958年、祖母は旅行に行き、我が家にポストカードを送ってくれましたが、すべてが馬のものでした。

祖母はペニー(Penny)というチワワを飼っていました。ペニーは粗暴で、私たちはみんな恐れていましたが、飼い主である祖母には忠実でした。

ある日、祖母は マリリン(Marilyn)おばさん(祖母の末っ子)夫妻と一緒に、おじさんの運転で サンタ・クララ(Santa Clara)[San Joseの誤植か?]の自宅からカリフォルニア州内のサクラメント(Sacramento, California)に住む娘に、2時間かけて会いにいきました。

サクラメント近くの高速道路でひどい事故に遭い、祖母は大けがを負いました。

何人かのおじやおばが我が家に来ました。父と1人のおじがステーション・ワゴンにマットレスを載せ、祖母を連れて帰るためにサクラメントに向かいました。翌朝の早いうちに、戻ってきました。

祖母は完全には回復しませんでした。家でも椅子に座ることが多くなり、それまでのようにおしゃべりでもなくなりました。1965年11月12日、祖母はなくなりました。訃報を聞いた時はとてもつらかったです。

祖母の葬儀は朝でした。私は学校を休みました。その日は強い雨が降っていました。一族みんなが葬儀場に集まり、棺を閉じる前に最後の挨拶をしました。私は座りながら、親戚たちが悲しみにどう向き合うのか眺めていました。葬儀場から礼拝のため教会に行き、それから墓地に向かいました。

墓地に着いた時もいまだに強い雨が続いていたため、埋葬はできず、短く祈り、そして墓地を去りました。

午後は学校に行かなければいけませんでしたが、その気にはなれませんでした。机には座ったものの、先生はまったく見ていませんでした。ずっと祖母のことを考え、喪失感を覚えていました。

日伊児童交流授業を行いました

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2019年01月03日 木曜日

11月30日に、重次郎と一緒にアラスカ・タナナ平原で金鉱を発掘したフェリックス・ペドロの故郷イタリア・ファナーノの小学校と重次郎の故郷松山市日の出町を校区に持つ素鵞小学校とのテレビ電話(スカイプ)を通した交流授業が行われました。
まず、ファナーノ市長と藤田松山市教育長との挨拶があり、素鵞小学校の五年三組の生徒たちが、写真パネル等を使い、松山や素鵞小学校での学校生活、そして郷土の偉人和田重次郎の紹介をしました。次に、ファナーノ小学校の五年生の生徒たちが同じく、写真パネルを使ってファナーノやペドロの像などペトロに関係するファナーノ市内の施設等を紹介しました。
目を輝かせながら、真剣に交流する姿がとても印象的で、終わった後も両校の生徒は手を振って名残惜しそうでした。
国境や人種の壁を超えて、郷土の偉人を通して国際交流することは極めて意義があります。
今後も機会があれば交流授業を継続していきたいものです。

明治150年記念トークショー 女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち

カテゴリ: イベント,国内の新聞記事,顕彰会の活動 — 2018年11月16日 金曜日

10月13日(土)正午から1時間半にわたって「明治150年記念トークショー 女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち 水野広徳×重見周吉×和田重次郎」が坂の上の雲ミュージアムで開催されました。
会場には、80名を越す方々にご参加いただき、田中和彦和田重次郎顕彰会会長の軽妙な司会進行の下、パネリストのNHKワールドエグゼクティブプロデューサーの榎原美樹氏、みかん一座座長の戒田節子氏、NPO法人アイムまつやま理事長の菅 紀子氏の三人が、明治時代にグローバルな活躍をした、愛媛県出身の三人の偉人、水野広徳、重見周吉、和田重次郎について大いに語りました。
この模様は、南海放送ラジオで中継されたほか、愛媛CATVでは録画放送され、愛媛新聞、NHKでも大きく報じられました。

女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2018年09月25日 火曜日

明治150年記念トークショー:
女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち
―水野広徳×重見周吉×和田重次郎

日 時:10月13日(土) 正午〜午後1時
場 所:坂の上の雲ミュージアム 二階ホール
愛媛県松山市一番町三丁目20番地
http://www.sakanouenokumomuseum.jp/guide/access/
申込み:不要 入場料無料 先着順
問合せ:https://wadajujiro.com/inquiry/

和田重次郎顕彰会では、今年が明治150年にあたることから、これを記念してトークショーを開催いたします。
明治時代にグローバルに活躍した愛媛県出身の三人の偉人について、各界で活躍する女性パネリストが大いに語るものです。
三人の偉人の一人は、元軍人でありながら反戦平和を訴え続けた松山市出身の水野広徳。二人目は米国コネチカット州ニューヘイヴンに私費留学し、広く日本文化を紹介した今治市出身の重見周吉。そして、北極圏を犬ぞりで駆け回り多くの金鉱と油田を発掘するなどした松山市出身の冒険家和田重次郎です。
パネリストは、NHKワールドエグゼクティブプロデューサーの榎原美樹氏、みかん一座座長の戒田節子氏、NPO法人アイムまつやま理事長の菅 紀子氏の三人です。
司会進行は、田中和彦和田重次郎顕彰会会長が務めます。

日時は、10月13日(土)正午から午後1時まで。
場所は、坂の上の雲ミュージアムの二階ホール。
入場料無料で事前申し込みも不要ですが、会場は狭く、先着順とさせていただきます。
ぜひご参加ください。

30年度顕彰記念イベントを開催しました

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2018年07月25日 水曜日

平成30年5月2日(水)午前11時から和田重次郎顕彰碑前(松山市石手川河川緑地公園)で、例年行われている顕彰記念イベントが開催されました。今回は、挨拶の後、重次郎の胸像を製作寄贈していただいた藤原白男氏、顕彰碑の刻字を執筆していただいた野本利一氏、重次郎の現存の資料を保存整理していただている和田利百氏の三氏に感謝状が贈呈され、加戸守行元愛媛県知事ご夫妻も交え、みかん一座のパフォーマンスもありました。

この後、会場を日の出町分館に移し、みかん一座ミュージカル「オーロラに駆けるサムライ~和田重次郎物語~」のダイジェスト版の上映、今年度中の完成を目指している国際ウェブサイトの紹介等がありました。

会場に来られた約30名の顕彰会会員、日の出町町内会の皆様は、和気あいあいの中、交流を図りました。

なお、29年度決算と事業報告がなされ、10月13日(土)に開催予定の「明治150年記念イベント 愛媛県出身の三人の偉人~水野広徳×和田重次郎×重見周吉」、和田重次郎が紹介された道徳の本を使い、地元素鵞小学校の子供たちと、重次郎が一緒に金鉱を発掘したペドロの故郷、イタリアファナーノの小学生との交流授業等を計画している30年度事業計画案も承認されました。

なお、顕彰記念イベントには、重次郎のひ孫のマイケル・オヘアさんとパティー・ラードンさん、また、彼らの友人のソニー・バナマさんとポーラ・ヒューズさんも来られ交流を深めました。

 

 

ホームページのアドレスを変更しました。

カテゴリ: お知らせ — 2018年03月03日 土曜日

和田重次郎顕彰会へのご賛同ならびにご支援ありがとうございます。
5月公開を予定しているグローバル・ウェブサイトの制作に伴い、アドレスをwadajujiro.jpからwadajujiro.comに変更いたしました。
和田重次郎顕彰会のホームページをご覧になる際は https://wadajujiro.com をご覧ください。
ブックマークをされている方は更新をお願いします。
今後とも和田重次郎顕彰会をどうぞよろしくお願い致します。

「地域再生大賞」の優秀賞を受賞しました

カテゴリ: お知らせ,顕彰会の活動 — 2018年03月01日 木曜日

和田重次郎顕彰会は、2017年度第8回「地域再生大賞」優秀賞に輝きました。

この賞は、地方新聞46紙と共同通信が地域に活気をもたらし魅力を高める活動に取り組む団体を表彰するもので、選考の結果、「地元出身の探検家和田重次郎をテーマに地域活性化に取り組んでおり、価値ある活動を進めている」として、和田重次郎顕彰会が優秀賞に決定されたものです。

去る2月9日(金)東京都の都市センターホテルコスモスホールにて表彰式があり、代表して、上岡幹夫事務局長が賞状を受け取り、地元紙の愛媛新聞でも大きく掲載されました。

このような栄えある賞をいただいたのも、皆様のご理解、ご協力があってのこと。この賞に恥じないように、今後も、さらなる活動の進展に取り組んでまいりたいと思いますので、今後ますますのお力添えを賜りますよう心からお願い申し上げます。

イタリアに訪問と国際シンポジウムの記事が愛媛新聞に掲載されました

カテゴリ: 国内の新聞記事,顕彰会の活動 — 2018年01月06日 土曜日

愛媛新聞に寄稿したコラム「世界に羽ばたく和田重次郎」をご紹介します。

和田重次郎顕彰 国際シンポジウム ビデオアーカイブ

カテゴリ: ビデオ

平成29年11月18日に坂の上の雲ミュージアム2階ホールにて開催された、「和田重次郎顕彰 国際シンポジウム」のビデオアーカイブです。

アラスカ和田重次郎顕彰会とカナダ和田重次郎顕彰会との協力連携を図るための「国際シンポジウム」が開催されました

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2017年12月06日 水曜日

 

 和田重次郎の生涯を描いたみかん一座ミュージカル「オーロラに駆けるサムライ~和田重次郎物語~」をアラスカ・アンカレッジにて公演し、これを契機としてアラスカ・スワードにて重次郎像が建立されました。さらに、重次郎とタナナ平原で一緒に金鉱を発掘したフェリックス・ペドロの生まれ故郷であるイタリア・ファナーノで重次郎を紹介するシンポジウムが開催されるなど、和田重次郎の顕彰活動は、国際的になっています。

 そこで、重次郎の死後80年が経ち、資料の散逸も憂慮されることから、日本とアラスカ、カナダの各和田重次郎顕彰会が協力連携して、資料の収集保存と調査研究活動、また、世界各地にいる和田重次郎研究家の成果発表とイベント等の情報共有化を図るために、平成29年11月18日坂の上の雲ミュージアム2階ホールにて、「和田重次郎顕彰 国際シンポジウム」を開催しました。

 戒田節子みかん一座座長の司会進行、松浦宏之国際コーディネーターのアシスト、菅 紀子グラパムコモン カンパニー代表の通訳により、田中和彦和田重次郎顕彰会会長(南海放送社長)とトニー中澤カナダ顕彰会顧問(アラスカ顕彰会会長)、ティム・ミネザキアラスカ和田重次郎顕彰会副会長の三人がトークを交わした後、日本、アメリカ・アラスカ、カナダの三か国が協力連携を図るための調印式を行い、硬い握手を交わしました。

 今後、アラスカにて国際シンポジウムが開催されるほか、インターナショナルな和田重次郎ウェブサイトを立ち上げることで、重次郎の調査研究、情報共有化が図られ、顕彰活動はよりグローバルに展開されることとなります。

次ページへ »

Copyright (c) 和田重次郎 顕彰会 All Rights Reserved.

error: Content is protected !!