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地元住民と一緒になって顕彰碑周辺の環境美化に取り組んでいる拓南中学校が「環境美化教育優良校・協会会長賞」に選ばれました

カテゴリ: イベント,お知らせ — 2020年02月24日 月曜日
和田重次郎顕彰碑周辺の清掃活動に長年取り組む拓南中学校が表彰される

愛媛新聞の学校紹介で素鵞小学校が取り上げられました。拓南中学校が、地元住民と一緒になって顕彰碑周辺の環境美化に取り組んでいることから、「環境美化教育優良校・協会会長賞」に選ばれたことが報じられました。

日本から受け継いだもの 祖母ヘレンの思い出=和田重次郎の子孫たち~その1~

カテゴリ: お知らせ,子孫たちの物語 — 2020年02月20日 木曜日
マイケル・オヘア

私 マイケル・オヘア(Michael O’Hare)は1953年に生まれ、12歳の時に祖母ヘレン(ヘレン・和田・シルベイラ)が亡くなりました。

Helen’s home

彼女(ヘレン)はカリフォルニア州サンノゼ(San Jose, California)のプラム・ストリート(Plum Street)に住んでいました。サンタ・クララ(Santa Clara)の我が家からは18kmで、よく訪ねたものでした…。

祖母の家には居住用に改装された地下室があり、そこに住んでいました。家の裏側には、地下室専用の玄関までありました。おばのロレインは上の母屋に住んでいました。 祖母の地下室はいつも暗かったのが思い出されます。家の裏側には、ロレインおばさんが住んでいた母屋に上がる階段もありました。裏にある階段を下って祖母の部屋に行き、別の裏の階段を上っておばの部屋に行っていました。玄関を使った記憶はありません。 裏庭にはパン作りのためのレンガ造りの窯がありました。

ヘレン・和田・シルベイラ 

60年代初め、祖母はサンタ・クララのボニータ・ストリート(Bonita Street)に引っ越しました。私たちの家から、たった3.2kmの場所です。 私たちは日曜日のほとんどを祖母の家で過ごしました。多くのおばやおじ、いとこも祖母の家にいました。大人たちが家の中で話をしたり食事の準備をしたりしている間、われわれ子どもたちは楽しく外で遊んでいました。 ボニータ・ストリートの新しい家の裏庭には、使われていない木製の鶏小屋がありました。私たち兄弟はアヒル捕獲を計画しており、鶏小屋をアヒルを飼うために使ってよいか尋ねたところ、祖母は許してくれました。ステーションワゴンに鶏小屋を積み込んで我が家に持って帰った時のことを、今でも思い出せます。

家が近くなったので、私たちきょうだいはよく自転車で祖母を訪ねました。祖母の家に行くまでに、山からサンタ・クララを流れ、サンフランシスコ湾の南端に注ぐ3本の小川がありました。それぞれの川に名前はあったのですが、私たちは「小川1、2、3」と呼んでいました。「小川3」を越えれば、祖母の家です。 「小川2」を自転車で越えることは許されていませんでしたが、祖母を訪ねるから「小川3」を自転車で越えてもよいか、と尋ねると、母はいつも許してくれました。 私たちが旅行に出かけると、祖母は3匹の犬に餌をやりに、毎日私たちの家に来てくれました。

祖母は私たちがいない間に掃除をしてくれていて、家に帰ると汚れひとつありませんでした。ベッドメイキングされていて、シーツや毛布、枕カバーはきれいに洗濯されていました。 祖母が私たちきょうだいの部屋を掃除する際、おもちゃなどがあるべき場所にしまわれていないと、捨てられてしまいました。旅行に行く前に全ての物をきちんとしまうことを、早くに学習しました。そうしないと、家に帰ったら、もうそこにはないのですから。 祖母は私たちの家に茶色い大きな自動車で来る前に、母に電話をしていました。祖母が来ることを伝えられたわれわれ子供たちは、はしゃいだものです。私たちの家は通りの端にあり、祖母はいつも反対側の端から来ました。

West End of Thompson Place From Graham Lane
East End of Thompson Place. O’Hare House 2 Stroy House on Left

私たちの家はトンプソン・プレイス(Thompson Place)にありました。私たちきょうだいは通りに立って、祖母の車が反対側の角を曲がってくるのを興奮しながら待ち構え、車が見えると、声を上げて飛び跳ねていました。家の前に車が停まると、ドアの周りに群がり、いっせいに祖母に抱き着こうとしました。 祖母が家に来てくれると、とても幸せでした。私たちは日々の出来事を、祖母に話しました。祖母は私たちにとても優しく、そして愛を持って接してくれました。

ある日、私たちの町で悲劇が起きました。一人暮らしの女性が強盗に遭い、放火までされたのです。消防車やパトカー、救急車がサイレンを響かせながらやってきて、近所じゅうの人が何が起きたのか見にきました。誰もが惨劇に衝撃を受けていました。

(続く)

マイケル・オヘア(Michael O’Hare)

日本から受け継いだもの~マイケル・オヘア=和田重次郎の子孫たち

カテゴリ: お知らせ,子孫たちの物語 — 2020年01月01日 水曜日

私は日本から受け継いだものを母から学びました。

Michael O’Hare (right)

家族がミネソタの著者から情報を受け取り、和田重次郎が私の祖母の父だと教えてもらったのだと母はEメールで私に説明しました。私は驚き興奮し、本当だと良いなと思いましたが、少し疑わしく思っていました。 1970年代と1980年初めに、私は祖母の家族の歴史について調べていました。私は家族で上の世代の人たちの何人かに話を聞き、私たちの家族について教えてもらいましたが、誰も和田重次郎の話はしませんでした。

ヘレン・和田・シルベイラ (和田重次郎の娘)

私の祖母は1900年にサンフランシスコで生まれ、1906年の大地震の時にそこに住んでいました。 市役所にあるすべての出生、死亡、結婚届が地震とその後に起こった火事によって失われました。不幸なことに、家族に関する記録は存在しなかったのです。 もし祖母の出生証明書があったら、たくさんの情報が分かっただろうと思います。


母は、この情報を家族に教えてくれた著者のメールアドレスを私に送ってくれました。私は彼に文章で自己紹介し、その情報が本当だと証明する証拠があれば提供してもらえないか尋ねました。 彼は、祖母が重次郎を探して、アラスカにいる重次郎に書いた手紙のコピーを送ってくれました。

この話が本当だと私にとって決め手になったのは、彼が送ってくれた2枚の写真のコピーでした。この写真は、重次郎が撮って日本にいる彼の母セツに送った自分の娘の写真でした。 私は写真を見て、すぐに祖母だとわかりました。重次郎が撮った写真と同時期に撮られた祖母の写真を持っていたのですが、それらが同一人物だと疑いようもありませんでした。私は興奮し、自分が日本から受け継いだものをできるだけたくさん知りたいと思いました。 祖母は私が12歳の時に亡くなりましたが、祖母の記憶は鮮明にありました。今でも祖母が恋しいです。私は2回日本へ行ったことがありますが、できる限り頻繁に行き、もっと家族のことを知り、もっと親戚全員のことをよく知りたいと思っています。

<終わり>

重次郎の子孫が素鵞に来ました!

カテゴリ: イベント,お知らせ — 2019年11月25日 月曜日
重次郎の娘、ヘレン・和田・シルベイラ

重次郎には、一人娘の日米子(アメリカ名 ヘレン・ シルべイラ) がいますが、日米子は、17人もの子どもを産み、現在、全米に100人 もの子孫がいます。


オヘア家のショーンとライアン、彼らの友人ジョー・フリオ

そのうちヘザー家のショーンとライアン、 彼らの友人ジョー・フリオが、自分たちの先祖である和田重次郎の 故郷を尋ねたいという思いを抱いて、素鵞にやってきました。

彼らは、まず、和田重次郎顕彰碑を訪れ、日の出町・和田重次 郎顕彰会の人たちと交流を図りました。そして、素鵞小学校に行 き、五年生の児童75人と交流しました。

素鵞小児童たちと交流をする3人

子供たちは、松山市連 合音楽会で発表した、重次郎のミュージカルの曲を組曲にした歌 を、子孫を前に歓迎の意味を込めて歌いました。 その後、子ども達は、子孫に重次郎の質問を するなど、和やかな雰囲気に包まれました。

和田重次郎の子孫が松山市素鵞小学校を訪問
重次郎のミュージカルの曲を組曲にした歌 を、子孫を前に歓迎の意味を込めて歌う素鵞小児童たち

 

 

令和元年度和田重次郎顕彰記念イベントが開催されました

カテゴリ: イベント,お知らせ — 2019年05月24日 金曜日
来賓

第4回目となる今回は、50名ほどの参加があり、 田中和彦顕彰会会長の挨拶の後、来賓として 中村時広愛媛県知事(代理 樋口志朗参与)、 野志克仁松山市長(代理 河合洋二総合政策部長)、 加戸守行元愛媛県知事から挨拶がありました。 平成30年11月11日に亡くなられた和田重次郎の兄平太郎の孫 であり、重次郎の現存の資料を保存整理していただいていた和田 利百氏と、同年12月31日に亡くなられた、顕彰碑周辺の 整備に熱心に取り組んでこられた顕彰会副会長の越智利明氏の 顕彰会へのこれまでの功績を称えるため、ご遺族等に感謝状が 授与されました。

素鵞公民館事業 推進委員会、日の出町連合町内会、和田重次郎顕彰会が協力して設置 した説明案内板

また、松山市宝みがきサポート事業を活用して、素鵞公民館事業 推進委員会と日の出町連合町内会、和田重次郎顕彰会が協力して設置 した、説明案内板のお披露目がなされました。

令和元年 和田重次郎顕彰会記念イベント
座が重次郎のミュージカルのテーマ曲「勇気のかけ ら」を歌う

最後にみかん一座が重次郎のミュージカルのテーマ曲「勇気のかけ ら」を歌い、第一部は終了しました。 この後、日の出町分館に会場を移して第二部が開催されました。

第二部では、顕彰会総会として平成30年度の顕彰会の事業報告等が なされました。その後、重次郎の生涯を描いた「オーロラに駆ける サムライ」の著者谷 有二氏のご子息の谷 眞人氏が中心となって 開設した和田重次郎顕彰会ホームページの国際版(グローバルサイト) の説明がありました。 最後に亡くなられた和田利百さんと越智利明さんとの思い出を綴っ たDVDの投影があり、記念イベントは終了しました。

日伊児童交流授業を行いました

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2019年01月03日 木曜日

11月30日に、重次郎と一緒にアラスカ・タナナ平原で金鉱を発掘したフェリックス・ペドロの故郷イタリア・ファナーノの小学校と重次郎の故郷松山市日の出町を校区に持つ素鵞小学校とのテレビ電話(スカイプ)を通した交流授業が行われました。
まず、ファナーノ市長と藤田松山市教育長との挨拶があり、素鵞小学校の五年三組の生徒たちが、写真パネル等を使い、松山や素鵞小学校での学校生活、そして郷土の偉人和田重次郎の紹介をしました。次に、ファナーノ小学校の五年生の生徒たちが同じく、写真パネルを使ってファナーノやペドロの像などペトロに関係するファナーノ市内の施設等を紹介しました。
目を輝かせながら、真剣に交流する姿がとても印象的で、終わった後も両校の生徒は手を振って名残惜しそうでした。
国境や人種の壁を超えて、郷土の偉人を通して国際交流することは極めて意義があります。
今後も機会があれば交流授業を継続していきたいものです。

明治150年記念トークショー 女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち

カテゴリ: イベント,国内の新聞記事,顕彰会の活動 — 2018年11月16日 金曜日

10月13日(土)正午から1時間半にわたって「明治150年記念トークショー 女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち 水野広徳×重見周吉×和田重次郎」が坂の上の雲ミュージアムで開催されました。
会場には、80名を越す方々にご参加いただき、田中和彦和田重次郎顕彰会会長の軽妙な司会進行の下、パネリストのNHKワールドエグゼクティブプロデューサーの榎原美樹氏、みかん一座座長の戒田節子氏、NPO法人アイムまつやま理事長の菅 紀子氏の三人が、明治時代にグローバルな活躍をした、愛媛県出身の三人の偉人、水野広徳、重見周吉、和田重次郎について大いに語りました。
この模様は、南海放送ラジオで中継されたほか、愛媛CATVでは録画放送され、愛媛新聞、NHKでも大きく報じられました。

女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2018年09月25日 火曜日

明治150年記念トークショー:
女性たちが語る愛媛県出身の三人の偉人たち
―水野広徳×重見周吉×和田重次郎

日 時:10月13日(土) 正午〜午後1時
場 所:坂の上の雲ミュージアム 二階ホール
愛媛県松山市一番町三丁目20番地
http://www.sakanouenokumomuseum.jp/guide/access/
申込み:不要 入場料無料 先着順
問合せ:https://wadajujiro.com/inquiry/

和田重次郎顕彰会では、今年が明治150年にあたることから、これを記念してトークショーを開催いたします。
明治時代にグローバルに活躍した愛媛県出身の三人の偉人について、各界で活躍する女性パネリストが大いに語るものです。
三人の偉人の一人は、元軍人でありながら反戦平和を訴え続けた松山市出身の水野広徳。二人目は米国コネチカット州ニューヘイヴンに私費留学し、広く日本文化を紹介した今治市出身の重見周吉。そして、北極圏を犬ぞりで駆け回り多くの金鉱と油田を発掘するなどした松山市出身の冒険家和田重次郎です。
パネリストは、NHKワールドエグゼクティブプロデューサーの榎原美樹氏、みかん一座座長の戒田節子氏、NPO法人アイムまつやま理事長の菅 紀子氏の三人です。
司会進行は、田中和彦和田重次郎顕彰会会長が務めます。

日時は、10月13日(土)正午から午後1時まで。
場所は、坂の上の雲ミュージアムの二階ホール。
入場料無料で事前申し込みも不要ですが、会場は狭く、先着順とさせていただきます。
ぜひご参加ください。

30年度顕彰記念イベントを開催しました

カテゴリ: イベント,お知らせ,顕彰会の活動 — 2018年07月25日 水曜日

平成30年5月2日(水)午前11時から和田重次郎顕彰碑前(松山市石手川河川緑地公園)で、例年行われている顕彰記念イベントが開催されました。今回は、挨拶の後、重次郎の胸像を製作寄贈していただいた藤原白男氏、顕彰碑の刻字を執筆していただいた野本利一氏、重次郎の現存の資料を保存整理していただている和田利百氏の三氏に感謝状が贈呈され、加戸守行元愛媛県知事ご夫妻も交え、みかん一座のパフォーマンスもありました。

この後、会場を日の出町分館に移し、みかん一座ミュージカル「オーロラに駆けるサムライ~和田重次郎物語~」のダイジェスト版の上映、今年度中の完成を目指している国際ウェブサイトの紹介等がありました。

会場に来られた約30名の顕彰会会員、日の出町町内会の皆様は、和気あいあいの中、交流を図りました。

なお、29年度決算と事業報告がなされ、10月13日(土)に開催予定の「明治150年記念イベント 愛媛県出身の三人の偉人~水野広徳×和田重次郎×重見周吉」、和田重次郎が紹介された道徳の本を使い、地元素鵞小学校の子供たちと、重次郎が一緒に金鉱を発掘したペドロの故郷、イタリアファナーノの小学生との交流授業等を計画している30年度事業計画案も承認されました。

なお、顕彰記念イベントには、重次郎のひ孫のマイケル・オヘアさんとパティー・ラードンさん、また、彼らの友人のソニー・バナマさんとポーラ・ヒューズさんも来られ交流を深めました。

 

 

ホームページのアドレスを変更しました。

カテゴリ: お知らせ — 2018年03月03日 土曜日

和田重次郎顕彰会へのご賛同ならびにご支援ありがとうございます。
5月公開を予定しているグローバル・ウェブサイトの制作に伴い、アドレスをwadajujiro.jpからwadajujiro.comに変更いたしました。
和田重次郎顕彰会のホームページをご覧になる際は https://wadajujiro.com をご覧ください。
ブックマークをされている方は更新をお願いします。
今後とも和田重次郎顕彰会をどうぞよろしくお願い致します。

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