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日本から受け継いだもの エドワード・フランシス・オヘア=和田重次郎の子孫たち~その1~

カテゴリ: お知らせ,子孫たちの物語 — 2020年03月05日 木曜日
エディと両親(へレン和田とオヘア), Waterloo, Iowa,1918

エドワード(Edward)はハリー・マイケル=オヘア(Harry Michael O’Hare)、ヘレン・シルビア=ワダ(Helen Silveira Wada)夫妻にとって初めての子でした。 1918年2月2日にカリフォルニア州サンフランシスコ(San Francisco, California)で生まれた彼は、存命であれば今年102歳を迎えます。

エディー

エドワードが生まれてすぐ、一家はアイオワ州ウォータールー(Waterloo, Iowa)のアダムズ・ストリート(Adams Street)に引っ越しました。

祖父ハリー・マイケル・オヘアとその長男エディー アイオワ州ウォータールー(Waterloo, Iowa)のアダムズ・ストリート(Adams Street)

父は鉄道員として働いていました。中西部出身の父にとって、引っ越しは故郷への帰還でもありました。 1928年ごろ両親は離婚しました。7人の子を連れて、祖母は育ったカリフォルニア州サリナス(Salinas)の農場に戻った一方で、父はウォータールーに留まりました。のちに父はカリフォルニア州に移り、ヘレンや子供たちと連絡を取り続けました。

Christmas party at Eddie O'Hare house
1950年代クリスマスパーティ
Uncle-Eddie-and-Aunt-Delores

エドワードは成人し、ドロレス・アキスタペース(Dolores Acquistapace)と結婚しました。ドロレスは優しく、愛らしく、そして素晴らしい笑顔の持ち主でした。夫妻は、リンダ(Linda)、エドワード・ジュニア(Edward Jr.)、パトリック(Patrick)、モーリーン(Maureen)の4人の子供に恵まれました。残念ながら、パトリックはがんのため昨年(2018)この世を去りました。

サンノゼのエンパイアストリートにあった家

一家はサンノゼ(San Jose)のエンパイア・ストリート(Empire Street)に住んでいました。サンノゼの家を訪れた時の素晴らしい記憶が思い出されます。バンガロースタイルの家で、大きなベランダに続く階段もありました。

 

 

エディー 厨房にて

エディー(Eddie)おじさん(私たちはこう呼んでいました)は陸軍で調理人として働いたのち、シェフとなりました。サンノゼのセンター・ロード(Senter Road)にあったデル・モニコ・レストラン(Del Monico’s Restaurant)でおじさんが働いていた時の思い出を、おじさんの娘のリンダと語り合ったものです。

 

マイケル・オヘア(Michael O’Hare)

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