ハリー・オヘア=和田重次郎の子孫たち~その1~
和田重次郎の一人娘、ヘレン・和田・シルベイラは5回結婚しました。1.オヘア姓(長男:エディー、次男:ハリー、三男:ドナルド、四男:レオナルド、長女:フアニタ、次女:アダメ、三女:エディス)2.ワイト姓(長男:ハラルド、次男:ロバート、長女:ロレイン、次女:ルシール、三女:ルース、四女:ノーマ、五女:メルビン)、3.メレディオス姓(長男:リチャード)、4.ピーター姓、5.メドック姓など現在では100人以上の子孫を残しています。
(by Michael O’Hare/ 語り手:三男ドナルドの息子、マイケル・オヘア)
次男ハリー・ヘアの思い出
ハリーおじさんは、ハリー・オヘアとヘレン・シルベイラ和田の第二子(次男)です。彼の名前は父親にちなんで付けられました。
1920年5月4日、アイオワ州ウォータールーで生まれました。今年2020年5月4日は100歳の誕生日でした。
私の父(ドナルド・オヘア)とは年の差が1年しかなかったため、幼少期から親しくしていました。
ハリーはエルヴィラ・マリー・ファルコーネと結婚しました。彼女はプラム通りの家で育ち、カリフォルニア州サンノゼの祖母ヘレンの家の隣の家か、数軒下の家(どちらかは覚えていません)で育ちました。
ハリーとエルヴィラには二人の息子がいました。
- ハリー・マイケル3世 (私たちは彼をブッチと呼んでいました。残念ながら1990年に亡くなりました)
- デニス・マービン
子供の頃、私の兄弟と私は、エルビラをミドルネームであるマリーと呼んでいました。彼女は素晴らしく、非常に親切で素敵な女性でした。後年、彼女は文房具店で働いていました。兄と妹と私が母と一緒に町にいた時は、いつも彼女に会うために店に立ち寄っていました。私が大きくなってからも彼女に会いに立ち寄ったものでした。文房具が必要なときは、いつも文房具店に買いに行き、母に会いに行っていました。ハリーとマリーは別れました。
ハリー2度目の結婚
ハリーはドリス・メイ・トルースデルと出会い7人の子供をもうけました。
- ロナルド・ジョセフ
- フランク・アラン
- ロバート・フランシス 私たちは彼をボブやボビーと呼んでいました
- ロジャー・トーマス:2002年に逝去
- ティモシー・ジェームズ(シンシアと双子)
- シンシア・リー(ティモシーと双子。2017年に逝去)
- ダニエル・ジョン
ドリスおばさんは素晴らしい女性でした。とても親切で思いやりがありました 。私は彼女の笑顔と笑い声を覚えています。悲しいことに彼女は1972年に交通事故で亡くなりました。そのニュースを聞いたとき、私たちは皆大きなショックを受けました。
ロサンジェルスへの引っ越し
私たちは若い頃、いとこ同士で遊びました。ハリーおじさんの家族はロサンゼルスに引っ越してしまい、私たちは滅多に会うことはありませんでした。1970年に彼らがロサンゼルスのアナハイムに住んでいた時には、時たまサンタクララに来て私たちを訪ねてきてくれましたし、私の家族も彼らのところに遊びに行きました。
彼らはディズニーランドの近くに住んでいました。彼らにはディズニーランドで働いている友人がいて、乗り物のチケットをたくさん買ってくれたので、私たちは何も買う必要がありませんでした。それはそれで楽しかったですね。
彼らが住んでいた家にはプールがありました。私たちがいた時は夏だったので、暑かったです。年上のいとこたちは、家の屋根からプールに飛び込みました。私はそれを見て、どんなに楽しいだろうと思いました。私は高所恐怖症だったので、それをしたことはありませんでした。
その旅行の後、私たちは数年間彼らに会うことはありませんでした。ここ数年で何人かのいとこたちと再会し、彼らと知り合うことを楽しんでいます。
ー続くー
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和田重次郎の「子孫たちの物語」を達筆しているマイケル・オヘア氏、マイケルはヘレン・和田・シルベイラの3男ドナルドの息子