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日本から受け継いだもの 祖母ヘレンの思い出=和田重次郎の子孫たち~その1~ - 和田重次郎顕彰会

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日本から受け継いだもの 祖母ヘレンの思い出=和田重次郎の子孫たち~その1~

カテゴリ: お知らせ,子孫たちの物語 — 2020年02月20日 木曜日
マイケル・オヘア

私 マイケル・オヘア(Michael O’Hare)は1953年に生まれ、12歳の時に祖母ヘレン(ヘレン・和田・シルベイラ)が亡くなりました。

Helen’s home

彼女(ヘレン)はカリフォルニア州サンノゼ(San Jose, California)のプラム・ストリート(Plum Street)に住んでいました。サンタ・クララ(Santa Clara)の我が家からは18kmで、よく訪ねたものでした…。

祖母の家には居住用に改装された地下室があり、そこに住んでいました。家の裏側には、地下室専用の玄関までありました。おばのロレインは上の母屋に住んでいました。 祖母の地下室はいつも暗かったのが思い出されます。家の裏側には、ロレインおばさんが住んでいた母屋に上がる階段もありました。裏にある階段を下って祖母の部屋に行き、別の裏の階段を上っておばの部屋に行っていました。玄関を使った記憶はありません。 裏庭にはパン作りのためのレンガ造りの窯がありました。

ヘレン・和田・シルベイラ 

60年代初め、祖母はサンタ・クララのボニータ・ストリート(Bonita Street)に引っ越しました。私たちの家から、たった3.2kmの場所です。 私たちは日曜日のほとんどを祖母の家で過ごしました。多くのおばやおじ、いとこも祖母の家にいました。大人たちが家の中で話をしたり食事の準備をしたりしている間、われわれ子どもたちは楽しく外で遊んでいました。 ボニータ・ストリートの新しい家の裏庭には、使われていない木製の鶏小屋がありました。私たち兄弟はアヒル捕獲を計画しており、鶏小屋をアヒルを飼うために使ってよいか尋ねたところ、祖母は許してくれました。ステーションワゴンに鶏小屋を積み込んで我が家に持って帰った時のことを、今でも思い出せます。

家が近くなったので、私たちきょうだいはよく自転車で祖母を訪ねました。祖母の家に行くまでに、山からサンタ・クララを流れ、サンフランシスコ湾の南端に注ぐ3本の小川がありました。それぞれの川に名前はあったのですが、私たちは「小川1、2、3」と呼んでいました。「小川3」を越えれば、祖母の家です。 「小川2」を自転車で越えることは許されていませんでしたが、祖母を訪ねるから「小川3」を自転車で越えてもよいか、と尋ねると、母はいつも許してくれました。 私たちが旅行に出かけると、祖母は3匹の犬に餌をやりに、毎日私たちの家に来てくれました。

祖母は私たちがいない間に掃除をしてくれていて、家に帰ると汚れひとつありませんでした。ベッドメイキングされていて、シーツや毛布、枕カバーはきれいに洗濯されていました。 祖母が私たちきょうだいの部屋を掃除する際、おもちゃなどがあるべき場所にしまわれていないと、捨てられてしまいました。旅行に行く前に全ての物をきちんとしまうことを、早くに学習しました。そうしないと、家に帰ったら、もうそこにはないのですから。 祖母は私たちの家に茶色い大きな自動車で来る前に、母に電話をしていました。祖母が来ることを伝えられたわれわれ子供たちは、はしゃいだものです。私たちの家は通りの端にあり、祖母はいつも反対側の端から来ました。

West End of Thompson Place From Graham Lane
East End of Thompson Place. O’Hare House 2 Stroy House on Left

私たちの家はトンプソン・プレイス(Thompson Place)にありました。私たちきょうだいは通りに立って、祖母の車が反対側の角を曲がってくるのを興奮しながら待ち構え、車が見えると、声を上げて飛び跳ねていました。家の前に車が停まると、ドアの周りに群がり、いっせいに祖母に抱き着こうとしました。 祖母が家に来てくれると、とても幸せでした。私たちは日々の出来事を、祖母に話しました。祖母は私たちにとても優しく、そして愛を持って接してくれました。

ある日、私たちの町で悲劇が起きました。一人暮らしの女性が強盗に遭い、放火までされたのです。消防車やパトカー、救急車がサイレンを響かせながらやってきて、近所じゅうの人が何が起きたのか見にきました。誰もが惨劇に衝撃を受けていました。

(続く)

マイケル・オヘア(Michael O’Hare)

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