19世紀末活躍の冒険家 重次郎の偉業後世へ 松山 石手川緑地 町内会が顕彰碑建立(愛媛新聞ONLINE)
出典:愛媛新聞ONLINE
一九世紀末、アラスカやカナダを探検した愛媛出身の冒険家・和田重次郎(一八七五—一九三七年)の活躍を後世に伝えようと、幼少期を過ごした松山市日の出町の連合町内会(八倉重貴会長)はこのほど、地元の石手川緑地に顕彰碑を建立。三日、除幕式があり、町内会関係者や住民ら約百人が偉業をしのんだ。 重次郎は十七歳で米国に密航。犬ぞりで移動しながら数々の金鉱や油田を発見。勇名をとどろかせた一方、松山で暮らす母親に仕送りを続け「親孝行を尽くした大冒険家」として知られる。町内会や重次郎顕彰会=上岡治郎会長(81)=が「重次郎を世に出したい」と建立にこぎ着けた。
完成した碑は計三基。中央に「オーロラに駆けるサムライ」「終生母親に孝養を尽くす」と紹介された顕彰碑を設置。西側に県美術会会員の藤原白男さん(81)=今治市=が制作した胸像、東側に重次郎を題材にした小説「犬橇使いの神様」を書いた新田次郎の文学碑を並べた。
上岡会長が除幕式で「日の出町だけでなく松山、日本の誇りである重次郎を多くの人に知ってもらい、米国やカナダとの国際交流につなげてほしい」とあいさつ。中村時広市長や八倉会長(70)、重次郎の兄の孫に当たる和田利百さん(81)=喜多郡内子町=らが除幕した。
拓南中学校吹奏楽部の演奏で素鵞小児童らが「ふるさと」を歌い、出席者は郷土出身の偉人を通じ、故郷を思う気持ちの大切さを実感している様子だった。